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近況 
妻と子供とニュージーランドで暮らし「ふぞろいの
林檎たち4(97年、TBS)以来4年ぶりのテレビ
ドラマ「42歳の修学旅行」(NHK)の撮影などの
ため、7月から1か月余り帰国していた。ドラマは
中止された中学校の修学旅行をやり直す話。関
西が舞台で、20日午後7時30分放送予定
 近鉄南大阪線沿線の、どの場所をとっても、思い出がある。
ホームグランドは〈河内松原〉あたり。小学校も、中学校も駅のそば。田んぼがそのまま住宅地になったような町で、道路はあぜ道のようにぐねぐね走っていた。
 五人兄弟の末っ子だか、近所の子を集めてかくれんぼをして遊ぶ「お兄ちゃん」でもあった。学校では給食を早食いして昼休みの運動場に飛び出し、休みの日は「先着○名に粗品進呈」を目指して自転車で藤井寺のスーパーに突っ走った。
 プールのない中学校で水泳部に入り、市民プールで暗くなるまで。自転車に乗れば大和川をさかのぼり、生駒山を越えて、奈良まで走った。
 上り普通電車で八つ目の〈河堀口〉から十数分の大阪市立工芸高校の木材工芸科に進んだ。有名進学校・府立天王寺高校のすぐそば。「天高生みたいな顔して町を歩くんですけど、駅前のお好み焼き屋さんへ入ったら、食いっぷりで『違う』ってバレちゃうんですよね」。バレー部のアタッカーで、そば玉四つ入りの焼そばを平らげていたころ。「三十分以内の食べたら無料」のギョーザ十人前も、軽々クリア。「ただになる、というだけで、なんであんなに一生懸命になれたのか・・・」
 ターミナルの〈大阪阿倍野橋〉は河堀口の隣駅だったが、「そんなに遊びに行かなかった。頭ではいろんなことに関心があったんですけど、体の方が運動したがっていた感じでした」。汗まみれでボールをを追う体育館の片隅で、発声練習する演劇部が、少し、気になっていた。
 大学は、これも沿線にある大阪芸術大のデザイン科。河内松原から下り電車に乗り、〈古市〉から支線の長野線で一駅目の〈喜志〉が最寄の駅。そこからバスで南東二`の、ほとんど二上山のふもと。使わなくなった校舎を改装した下宿に住んだ。
 芝居をやって、バンドを組んで、映画作って、大学祭を仕切って、風景写真に凝って、〈河内天美〉駅前のドーナツ屋でバイトして、金網がないからどぶをふたする網でバーベキューをやった学生時代。
 たくさんの引き出しの中から「役者」の夢が膨らんだ。「東京へ行きたい」。親を説得し、たまっていたデザインの課題を律儀に仕上げてから、大学をやめた。大阪最後の夜は仲間が集まって、石川の河原でキャンプファイアーで送ってくれた。バイト料をためて買ったワゴン車で、東へ・・・。二十二年前の夏のこと。

 本当は込みあった電車に乗るよりも、沿線を歩いたり、自転車で走ったりする方が好きだ。考えごとをしながら、季節の草花を眺めながら、友達の家に寄り道しながら、歩く。「大事な場所が<点>や<線>から、<面>になる。立体的になってくるんです」
 この夏、十七年ぶりに、大阪でドラマのロケをした。ラストシーンは、八月末の、生駒山上。よく晴れた日で、大阪平野が一望できた。エネルギーを持て余していたころの、なつかしい思い出の一つ一つが、立体的によみがえってきた。

                     2001年10月1日 読売新聞 夕刊より抜粋